選択能力


    今回は「選択」ということについて考えてみたいと思います。

  小学校で、「セレクト給食」というのを実施している学校があります。これは、事前にメニューを提示し、児童の希望をとって、食べたいものを選ばせるというものです。メニューも子供が好きそうなものだったらしくて、子供たちは、「自分の好きなものが食べられる」と好評だったようです。

  旅にいくと、朝食バイキングというのがあります。和洋のメニューがあって、好きなものを選んで食べられるので、いやがる人はいません。

  学校教育では、かなり前から選択教科が導入されています。自分の興味関心に基づき、学びたい教科を学ぶ。この選択制は拡大の一途をたどっています。教科内でも先生が2人で行う協力教授では、コース別学習ということで、到達すべき目標を変えたコースを生徒が自主的に選択するというケースがあります。

  高校の指導要領改訂に関して、ある高校の先生が、「これでは、生徒はバイキング料理を食べるようなものだ。好きなものばかりを食べて、食べたくないものは食べなくてもよいということだからね。」とおっしゃっていました。

  大学の入試科目は、私が受験したときよりも、ほとんどの学校で削減されています。選択科目の幅の拡大が、受験に必要な教科の削減につながってきています。

  このように、人間の興味・関心・指向・嗜好によって、人間が自ら選択するということは、世の中でとてもよいことのようにとらえられているし、学校教育の潮流も、こちらに向いているように思います。

  しかし、これでいいのでしょうか。

  好きなものを食べることができ、幸せな小学生。しかし、栄養学的見地からいえば、偏りなく摂取する事が望ましいのは常識です。かれらは、朝ご飯とのバランスを考えているのでしょうか。「朝は肉を食べたから、昼は魚にしよう」と考えられる小学生というのは、どれぐらいいるのでしょうか。

  朝食バイキングで、「最近目が疲れやすいから、今日はビタミンを多く含んだ食べ物を食べよう。」などと、自分のコンディションを考えている大人はどのくらいいるでしょうか。

  学校教育における選択制の拡充は、「やりたくないことはやらなくてもいい」という事に繋がっているのではないでしょうか。「やりたくないけどこれは大事だからやろう。」と思っている生徒はどれぐらいいるのでしょうか。

  このままではまずいのではないでしょうか。

  選択肢が広がることは素晴らしいことです。我々人類の選択肢は、年とともに広がってきています。しかし、適切な選択をするための選択能力の育成というのは、先の例に挙げたとおり、十分ではありません。選択は諸刃の剣です。選択能力が備わって始めて、選択が生きるのではないでしょうか。

  最後に、アメリカのお母さんの子育てと日本のお母さんの子育ての違いを紹介します。

  朝の天気予報で「降水確率100%」だったとします。

  日本のお母さんは、「雨が降るから傘を忘れずにもっていきなさい。」と言ったそうです。

  アメリカのお母さんは、「降水確率100%だよ」とだけ言ったそうです。

  

  ところで、バスケットプレイヤーの備えるべき選択能力とは何でしょうか?