Nakamura says....


( 3/8 updated!)

はじめに

    今、私は、やりがいのある人生を楽しむ事を目標に生きています。そんな私こそが加藤先生の指導をもっとも受け継いでいると思っています。プレーヤーでは分からないチーム運営や、人間関係の難しさ。下積みの選手の気持ちや、人への思いやりなどを学ぶことができました。これからの指導者の方々、それよりも、バスケが好きな選手のみなさんに、是非、私の学んだことを生かしてもらいたいと考えています。

今までのバスケットへの関わり

    私は宮城県の松島中学校出身です。一昨年までジャパンエナジーで活躍していて、現在、宮城県利府高校で指導者として、頑張っている安達先生と一緒に能代に行きました。能代工業ではレギュラーではありませんでしたが、中京大学に進学し、4年生から、名古屋の中学校を指導し、卒業後も、仕事をしながら中学校を教え、その後、名古屋の星城高校の女子を3年間教えました。

    名古屋で指導している頃は、名短の井上先生、前の千種台の先生の杉浦先生に教えて頂いたり、バスケの仲間とバスケを勉強したりしました。また、私がいた星城高校は、シャンソンの村上選手がいた高校で、わたしがその高校の指導をしていた最後の年(名古屋国体の年)インターハイ3位の座を獲得するなど、素晴らしい成績を挙げることができました。

    名古屋のバスケの指導者は、本当にバスケットを愛する人たちばかりでした。。朝まで、バスケを語り合うこともあり、日本で勝つため、アジアで勝つため世界で通用する選手の育成という視点で考えている指導者が多いと感じました。

能代工業高校入部

    能代工業についてですが、一番のカルチャーショックは、言葉が通じないことでした。能代工業バスケ部では、「標準語を話せ」と先輩から怒られました。標準語とは、能代弁のことです。今考えれば、早く能代の人間になれということだったと思いますが、しゃべれなくて何回も怒られたのを覚えています。

    入学してすぐ、能代のバスケットは何を目的としているか。能代はなぜ強いのか。これから能代で学ぶことは何かというと、シュート力ではなく、スタミナではなく、スピードでもなく、オフェンス力ではなく、ディフェンス力でもなく、「攻防の切り替えだ」と、先輩から教えられました。

    私は、入った当初は、その意味が分かりませんでした。今にして思えば、加藤先生のバスケットの教えは、これが根本にあるのではないでしょうか。それに先生は、あまり、バスケの指導はしませんし、怒ることも少なかったと覚えています。しかし、人の心を動かすことは、誰にも負けないと思います。加藤先生は、現在でも、人を引き付ける魅力を一杯持っています。

    加藤先生のニックネームは、大将です。大将が一番大切にしていたことは、人の気持ちを大切にすること。人間形成を大切にすることだと思っています。

加藤先生の思い出

    私が、能代に入って、自分が一番下手ではないかと精神的にまいってしまい、バスケが駄目であれば誰にも相手にされない、そして大将にも相手にされないのではないかと悩んでいた時がありました。そんなある日(今でも忘れられない)、1年生の9月23日のことでした。当時の全日本の選手、沼田さんがこられた時だと記憶しています。私は練習後、下宿で倒れ、病院に運ばれました。そのときの私は腸閉塞、胃痙攣などを併発していて、危険な状態でした。もう真夜中というときに、大将がきてくれたのです。

    大将は、接待の途中だったと思いますが、鼻から管を通され、痛みで意識が朦朧としている私の手を握り、「俺が悪かった、もっともっと早く気づいていればこんな事にはならなかったのに」「悪かった。悪かった」と何度もつぶやきながら朝まで付き添っていてくれました。その時、初めて能代に行って良かったと思いました。その時以来、指導とは、プレーヤーだけじゃない、チーム全ての人間が大切であり、そのような指導をしなければ、決して強くてすばらしいチームはできないんだと思いました。

 


( 3/13 updated!)

 初めて能代工業高校体育館に入る

    私は、入学する1週間前に、能代に来て、練習に入れてもらいました。能代工業の体育館に初めて入った時は、「どのような練習をするのだろう?、先輩は、怖いのだろうか?」などの不安で一杯でした。そしてそこには、中学時代、テレビや新聞でしか知らなかった先輩がいたのです。私はとても緊張しました。その頃の2つ上の先輩には、目さんや、安斉さん、田村さん、保坂さん、キャプテンの田山さん、中山さん、大川さん(中京大での先輩でもあります)がおり、三冠のメンバーが顔をそろえていました。先輩方は、新入生の中で一番早く来たということで、私にとても優しくしてくださり、とても安心したのを覚えています。部室ではとても面白い先輩たちだったのですが。。。

練習中の選手の様子

    しかし、先輩たちはコートに入るとまるで別人でした。すべてのプレイヤーが緊張していました。そこには先程までのリラックスした先輩たちはいませんでした。その緊張も普通のものではなく、いわゆる「殺気」を感じました。中学校では、練習中にこの様な雰囲気を経験したことがなかったので、どのようにしたら良いか分からず、逃げ出したいとまで思いました。そのような時には、異常な程に1年上の先輩が優しかったのを覚えております。入学後は、どのようになったかは分かるとは思いますが。

加藤先生の指導

   このような緊張感の源は何か、その時の私はわかりませんでしたが、大将の指導にその理由がありました。

   大将は、チーム内での競争を大切にしています。

   少しでも気を抜いたプレーをした選手には、すぐに厳しい指導をしていました。それが、スター選手であろうが、チームのポイントゲッターだろうが変わりません。特に、心の持ち方で誰でも出来るプレーをおろそかにすることを大将は特に嫌っていました。ルーズボールを追わなかったり、ミスをした後、そのミスをとりかえそうとしなかったり、ミスを他人のせいにしたりしたら、それが改善されないかぎり、絶対に試合には出しませんでした。それがどんなに大事な試合であってもです。私が高校生の時は、そんな加藤先生のそれが当たり前だと思っていました。

   しかし、チームを離れてみて、加藤先生と同じように考えていても、それを実行している指導者がどれだけいるでしょうか。その場では怒ってベンチに引っ込めてもすぐに使う監督がほとんどではないでしょうか。

   「人間のハートが変わらないかぎり、どんな練習をしたとしても、プレイヤーとしての成長はない。」と大将は言いたかったのだと思います。そして、「そのためにしなければならない事が沢山ある。指導者自体が、人間として成長しなければならない。」と言いたかったのではないでしょうか。私もそれが一番大切なことだと信じています。


( 3/19 updated!)

一枚のユニフォームをめぐるエピソード

   能代工業高校バスケットボール部が、始めから優れた選手ばかりで構成されていた訳ではありません。「高さへの挑戦」を読まれた方はおわかりとは思いますが、初めて全国大会で優勝した時は、平均身長170cm以下でした。その時、全国の平均は185cm以上。なぜ、その身長で優勝できたのか。そこに大将のすごさがありました。

   チーム内でのライバル心が強いのは、大将がプレイヤーを自分でやらざるを得ない状態にもっていくのがとても上手だからです。そんな大将から、私は生徒の時にあるエピソードを聞きました。私よりも10歳以上、上の先輩の話です。

   その先輩達がまだ1年生だったころ、下宿での出来事です。

   能代の選手達は、通い組と下宿組があって下宿も自分達の時は4つありました。その時、その先輩達は、ポジションは違うにしろ最後の一枚のユニホームを争っていました。そのユニフォームがもらえるポジションはガードとセンター。その一枚を争っていたのは、下宿組の同じ下宿の2人でした。

   一年生ガードと一年生センターの先輩は、普段はすごく仲が良いのですが、コートではよきライバルでした。

   1年生の朝は、体育館の掃除や練習の準備と色々あって個人練習はできません。さらに、練習中でも、ゲームが始まれば、先輩のゲームを見ているだけになってしまいます。(その時は、つま先立ちで見ている選手がたくさんいたそうです。。)そこで、、、

   ガードの先輩は、「とにかく誰よりも早く体育館にいって個人練習がしたい。でも、他の選手が起きたら練習が出来なくなってしまう。」と考えました。そして彼はある作戦を実行に移しました。

   彼は毎朝、顔を洗わず歯も磨かず体育館に他の部員よりも早く来て、そして朝練を1年間続けたそうです。なぜ顔を洗わないかというと、水の音で他の部員を起こさないように、自分が起きたのを悟られないようにするためだったのです。他の人達が、体育館に着いた時には、すでに汗まみれのTシャツを着替え、何食わぬ顔で掃除をしている彼の姿がありました。その先輩は、全国大会のユニホームを1年生でもらうことが出来たそうです。そのような事が、沢山能代にはあります。その中から、誰にも負けない精神的強さも生まれてくるのかもしれません。


( 3/22 updated!)

勝ったら選手、負けたら監督

   大将の指導者として、大切な事は何かと尋ねたことはありませんが、離れて教えられたことがあります。

   勝ったら選手のせい、負けたら監督のせい、ということです。

   大将は、練習ゲームなどでは違いますが、大切な大会で負けた時に、選手のせいにした事は一度もありませんでした。勝った時は、選手を前面に出して、大将は影にいる事が多いのです。

   あと、父兄を楽しませる事を大切にしていました。楽しませるというと誤解を招くかもしれませんが、能代に息子を入れて良かったと思う父兄が一人でも増えるように気をつかっていました。また、大会中での父兄を楽しませる事が上手いと思います。それだけ、選手のみならず父兄の連帯を大切にしていますし、周りの能代を応援して頂いている方々をとても大切にしていました。